自分を信じる

 

 

 菅野と時間を過ごすなかで、彼がときどき「自分を信じる」ということを口にすることに僕は気がついていた。自分を信じる。この言葉自体は、多くの人が耳にしたことがある言葉だろう。しかし、その言葉が一体どういう意味で使われているのか? それを深く腑に落として考えることはあまりしない。これに感銘を覚えた人間でも、せいぜい、この言葉の持つ響きの格好良さに酔って、翌日には忘れてしまうのが関の山なはずだ。しかし僕は、菅野が口にする「自分を信じる」という言葉には、その響きの良さの向こう側に何か大きな秘密が隠されているように思われてならなかった。

 

 ある晩餐の夜も、菅野は「自分を信じる」という言葉を口にしていた。菅野の工場にはいつも人が集まる。それもたいそうな肩書きの人々ばかりが、だ。雑誌の編集長だったり、ボーズの元社長だったり、元スチュワーデス現テーブルコーディネーターだったり、彫刻家だったり、プロダクトデザインの著名プロデューサーであったり、作詞家だったり、テレビ制作を取りまとめる名プロデューサーだったり、イタリアのマネージメント会社の社長であったり、それはそれは多様でユニークな人々が彼の工場へと足を運び、集まってくるのである。

 

 菅野はときどき工場へと人々を招待し、こじんまりとした食事会を開く。彼の幼なじみによって料理がふるまわれ、飲み物がふるまわれる。建物はプレハブづくりであるものの、エアロコンセプトのプロダクトに囲まれた空間は得も言えぬ上質な時間を紡いでいる。この華やかさが、いわゆる油まみれの町工場の事務所で繰り広げられる不思議さは、食事会に参加する全員が無意識のうちに感じていることなのではないだろうか。どこかのエグゼクティブ専用のVIPなパーティーなどでも、到底、この食事会に漂う優しく温かくさり気なく上質な雰囲気を真似することは決してできないだろう。

 

 しかし、はたと立ち止まって、よくよく考えてみれば、この華やかな集いの主催者は、しがない中小企業のひとりの経営者でしかない。そして彼は、倒産の憂き目に遭遇し、真剣に自殺まで考えたこともあるどん底にいた職人でさえある。言わば世間的な肩書きだけを並べたのなら、誰もこの食事会、晩餐会が華やかなくつろぎに満ちたもので、そこに集ってくる人々が一流の人たちばかりなどということを想像だにしないだろう。

 

 そしてこの食事会の中に、菅野はまるで権力者のように鎮座する。もちろん彼はステレオタイプなで暴な権力者などではない。むしろ、その対極にいる人間で、腰は低く謙虚に応対し、そのくせこっそり秘めた野心を悠々と燃やすタイプの人物だ。しかし彼の開く食事会では、周囲の人間たちが、「菅野社長、菅野さん」と、彼を慕う。もちろん気心の知れた仲間内なので、そこに上下関係や利害関係などはない。むしろあるのは、お互いに対する敬意だ。それでも、菅野を偉人が取り囲む図、その様子は、彼をまるで権力者のように映すのである。この状態を菅野がどの程度認識しているのか、僕にはわからない。しかし少なくとも、彼は自分が社会において少しは発言できる立場に立っていることについては認識している。その証左として、彼はこの日の晩餐会で「オレはさ、大金は得ていないかもしれないけどさ。エアロコンセプトのお陰で力を手に入れることはできたんだよ」とか「オレもここのところ、テレビや雑誌で取材を受けたりしてさ、少しは言いたいことを言えるようになったんだ」と淡々と話していた。つまり菅野は、エアロコンセプトを通じて「確かな変化」というものを自身の歩む道の上に体験し、認識しているのだ。

 

 では、お金でもなく、地位でもなく、政治力でもなく、不思議な力を手に入れた菅野のポジションは、どんな精神が実り、かなったものなのだろう?

 この華やかな食事会の類いは決して最初から存在していたものではない。人々を魅了する何かがあって、はじめて華やかな食事会は成立しているのである。もちろん、そのど真ん中あるのはエアロコンセプトというブランド・プロダクトであることは疑いようがない。それならば、このエアロコンセプトというモノに吸引される人々が、そのどんな要素によって引寄せられるのだろうか、と僕は考えた。そのとき、僕は面白いことに気がついたのだ。それは、エアロコンセプトという物体が「象徴」でしかないということだった。キリスト教徒にとっての十字架や仏教徒にとっての菩薩像のように、エアロコンセプトという物体はこの日開かれていた食事会においてはシンボルでしかないのである。そう考えていくと、こんなことが成り立つのではないか。エアロコンセプトは、菅野が最初に「信じたこと」「想い」を象徴的な形にしたモノ。そして、その象徴物に魅せられ、惚れ、所有することになったユーザーは、エアロコンセプトに込められた「信じたこと」「想い」を感じようと、心を開き、耳を傾ける信者。となれば、彼の開く食事会の参加者たちは、筋金入りのエアロコンセプトの信者だということだ。それが本当なら、この食事会には、菅野が最初に「信じたもの」や「想い」が何よりもの磁力となって働いているということになるわけである。たしかに、参加者の多くは、日頃、自分が心の深奥で感じている「何か」と菅野が示唆的に語りつづける「何か」を重ね合わせ、ビジネスのヒントや人生のヒントを探ろうとしている節が垣間みられる。これは、僕の深読みによる、まったくの主観的なものの見方なのだけど、まんざらこの想像が現実とかけ離れてはいないとも思うのだ。というのも、事実として、エアロコンセプトはつくられた当初、誰にも見向きもされなかったモノだったからだ。それが時間をかけて、菅野自らが「自分の信じること」「想い」を語りつづけた結果、様々なユニークな肩書きを持った共鳴者を引寄せたのである。つまり、この晩餐会の信者たちは、まずはじめに菅野自身が自分を信じなかったら、決して一堂に町工場に集まるなどということはなかったのである。

 

 生まれたてのエアロコンセプトは、見向きもされなかった。「こんなもん、誰が買うんだよ」、「これが売り物になるなんてことは考えない方がいいよ」。菅野がはじめに聞かされた言葉は、実際に、そんな厳しい言葉ばかりだったという。形になる前は、もっと酷かった。菅野は、ある決意、ある夢とともに、自分が心血を注いできたアルミの精密板金加工の技術、愛着のある技術を使って、鞄など、本当に自分の欲しいものをつくろうと考えた。しかし、その取り組みへの風当たりは必ずしも優しいものではなかった。新しいことをはじめようとする彼を多くの人々はバカにしたのだという。まわりにいる人たちは、菅野の思い描くプロダクトの姿を戯言に過ぎないと思っていた。もちろん、菅野の工場の職人たち、スタッフたちも、菅野の言動に疑問符を投げかけた。「そんなことで主事業は大丈夫なんでしょうかね」とか「何だかわけわかんないこと、やらされたらかなわないよ」と。それは、そうだろう。ただの下請け町工場はただでさえ厳しいポジションに立たされていたのだ。生き残りをかけて、手近なところ、既存の得意分野に厚みを持たせていくというのが商いの常道である。それを、こともあろうにブランドメーカーとして、鞄をつくるなどどいう途方も無い発想を真顔で語られたのでは、生活をしていかなければいけない身としては困ってしまう。やすやすと賛同することなどできるはずがない。どんなにその夢がロマンに溢れていようとも、生計を立てるということやライフラインを死守するということが、人間の本能として優先されることは理解できる。ましてや、販売や企画やマーケティングに携わるプロフェッショルな友人、知人からも、「そんなの上手くいくわけがない」と言われていたのだそうだから、なおさらのことである。(ただ唯一、僕が知らないのは、菅野の家族だ。家族が、菅野の突飛な夢に対して、どう考え、どう反応したのかは知らない。もしかしたら、奥さんだけは、夢を支持して、影で黙って支えてくれていたということもあるのかもしれない)こうなれば、菅野の眼前に広がっていたのは、四面楚歌という状況だ。プロダクトとしての体裁が整い、販路を築き、メディアで取り上げられれ、名が知られた今、彼やエアロコンセプトに賛辞を送ることは、そのテイストの好き嫌いは別としても、たやすい。しかし、菅野の「信じること」や「想い」以外の何もない状態で彼を支持することは容易にできることではない。つまり、夢を形にする前と夢が形になった後では、取り囲む人々の反応の仕方に大きな隔たりがあって当たり前なのだ。

 

 さてでは、夢を形にするために、何が必要だったのだろうか? その出発点に「想い」があるのは、これまでの説明で誰にもわかっただろう。しかし、その「想い」を花開かせるためには必要なことがある。それこそが、菅野がよく口にする「自分を信じること」「自分を信じ続けること」なのではないだろうか。最初は誰も信じてくれないかもしれないが、自分自身が自分の「想い」の信者になりきらなければ、その「想い」を他の誰が信じてくれるというのだろう。他の誰もが信じてくれなければ、「想い」が現実の物質世界で形になることはない。そればかりではない。道をはばむ者は、自分の外ばかりではなく内にもいる。菅野は言う、「自分が描いた夢を実現するのには雑音は多いものだろ?意外なことなんだけどさ。何も、その雑音は他人が出しているばかりじゃない。自分自身が出してる場合だってあるんだよ」。確かに、僕たちの夢が砕かれるのは、自分自身の中に芽生える恐怖心や不安である場合がほとんどだ。「オレさ、ときどき自分がフランスに旅立ったときのことを思い出すんだよ。もちろん最初は、自分で計画したんだよ。でもさ、(フランスに行く)旅立ちの日が近づくにつれて、何を考えてたと思う? もうフランスに行くのがイヤでイヤで仕方なくなっていたんだ。若い頃だからロマンを描いていろいろ考えるだろ。だけど、まわりを見てみたら、みんな楽しそうにしてやがんだよ。特に、その時代は、右肩上がりの高度経済成長の時代だからね。就職しようと思えば、それなりのところに就職できて、将来の道は約束されていた時代さ。どんな商売やったって、それなりに受注できて、楽に儲かって、楽しくやっていける時代だったんだ。それなのに、なんでオレは馬鹿みたいに、こんな変なこと考えついちゃったんだろって、後悔の念がどんどん沸いてくるわけ。何も好き好んでフランスくんだりまで行く必要がどこにあるんだろう?ってさ。だから、羽田空港に立ったときでさえ、フランス行きを取りやめたくって仕方がない不安な気持ちでいっぱいだったんだよ。だけどね、不思議なもんで、そういう不安というのは、一歩足を踏み出したら、あっと言う間に消えちゃうんだ」。(菅野さんがフランスへと留学をしていたことは別章で述べる)

 

 つまり、まだ見ぬ世界へと旅立とうとするには、不安を乗り越え「自分を信じる」勇気が必要になる。自分が思い描いた夢を信じる。自分が設計したモノを信じる。自分が思う価値観が正しいと信じる。自分の技術を信じる。自分の感性を信じる。自分の能力を信じる。菅野はそれをひとつひとつ乗り越えてきた。そして菅野が口にする「自分を信じる」という言葉は、目標や夢へ向かう自らの志や意欲を測定できる強力なツールでもあったのだ。もしあなたが、何か明確な夢に向かって努力しているのなら、ぜひ試して欲しいことがある。自分自身にこう聞いて欲しいのだ、「自分は自分を信じているだろうか?」と。恐らく多くの人にとっては、この言葉は自分の中に不安を引き起こすはずだ。「自分なんか、そんな大したものじゃない」とか「自分ぐらいの才能なんて世の中、掃いて捨てるほどいる」とか「この年齢からじゃ、とても夢なんて持つことはできない」と。もしこんな不安があなたにもたげるようであれば、それは「自分を信じること」つまり「自信」が不足しているのだ。菅野のように不安を蹴散らし、「自信」を持って前に進むためには、まず、自分は自分の何を信じていないのか?

それを見つけることからはじめなければいけないのだろう。しかし、「自分を信じろ!」「自信を持て!」と頭ごなしに言われたって、それは簡単なことではない。では、一体、どうすれば「自分を信じる」なんてことができるのだろう?このことに関して、僕は菅野に聞いてみたことがあった。すると、彼はこんな答えをくれたのだ。

 

「オレだって、不安なんだよ。自信がないときだってもちろんあるよ。でもさ、ひとつ知ってもらいたいことがあるんだ。自分、自分と言ってみたって、人間には、もうひとりの自分っていうのがいるんだ。静かに心に耳を澄ませれば、何か声が聞こえてくるだろ? オレは、そいつのことを仮に”孤独”って呼んでいるんだよ。オレの場合は、この”孤独”ってやつが答えをくれて、自分を信じるという気持ちを強めてくれているんだ。だけど、”孤独”と正面から向き合うのは簡単じゃないよ。だって、彼は苦労をしている分、結構、はっきりとモノを言うからね。嫌なこともいいことも。それに雑踏の中だったり、大勢の中にいたりすると、孤独の声って聞こえにくくなっちゃうからね。世間の常識だったり、近くのお偉いさんの意見は、もっともらしく耳の中にこびりつくものさ。だからさ、オレは、このことは知っておいてもらいたいんだ。勇気を出して一人になることが大事なんだって。そっと心を静めると見えてくる自分の”孤独”。もし、本当にその”孤独”の声を雑踏の中に聞き分けることができて、受け止めることができて、自分の一番のパートナーとして認めてあげられたら、自分は一人じゃないって、そう気づくと思うんだよ。”自分を信じる”ということは、”孤独”との会話から育まれるって言ってもいいかもしれない。”孤独”と話が通じると、不思議と、もう大丈夫だって思えるんだよ。迷わず行こう、ぶれずに行こう、腹を括って失敗を恐れず、前に進んで行こうってさ。」

 

 孤独とともにあること。そうすることではじめて「自分を信じること」ができる。大勢の人々が笑顔をみせる町工場の晩餐会の中においても、きっと菅野は心の声、孤独の声にずっと絶え間なく耳を傾けているのだろう。そして、彼の”孤独”の声と彼の想いが、今度はどんな世界へとエアロコンセプトを導いていこうとしているのか。僕には、その未来がとてつもなく果てしのないものになると思えて仕方がなかった。