職人の独り言、七

 

 

 だからね、オレは、本当はね、ヨーロッパの人たちの品格を尊重する姿勢がとても大切だと思っているんだよ。特に、オレがつくりたくてつくったエアロコンセプトというものが、世に出ていく場合は、やっぱり彼らの威厳のようなものが何よりも重要だとは思っているんだ。だけどさ、実際のところは、中国でも、台湾でも、香港でも、オレの鞄には引き合いが後を絶たないんだよ。でもさ、オレはアジアという土地に対しては、いまひとつ憧れは持っていねぇんだよな。オレだって同じアジア人だから、彼らの愛嬌のあるところとかはさ、なんか憎めなくて好きなんだよ。でもさ、それと同時にやっぱり警戒心は持ってしまうよな。これについては、日本も含めて話をしているんだよ。日本人だって、お金を持つようになると、車、女、食と贅沢なことにばかりお金を注ぎ込むだろ。オレは、そういう下品な感性が嫌なんだよ。だからさ、オレにしてみたら、ヨーロッパ人と日本人の感性を比べてみると、日本人というのはさ、まだまだ野蛮人にしか見えないんだよ。多分だけどさ、ヨーロッパの奴らから見たら、オレたちなんて全然、未開の地の民族でしかないと思うんだよ。でも、そんなことを言ってみたって、オレの鞄を欲しがる人たちってのは、日本にも、アジア諸国にもいるんだからな。それはそれでありがたいんだよ。欲しいって言ってもらえるのは、嬉しいじゃねぇか。だけど、アジアってのは、なかなか心を許せる売り先を見つけるってのは、簡単じゃないよね。でもさ、ひとりいるんだよ。でも、こいつは中国の上海に住んでいる男で、たいそうなボンボンなんだけどさ、お坊ちゃんで、いいところの出の人間だから、呑気なんだよな。売らないで、人にあげちゃうんだ。まあ、そういうところが気に入って、オレは彼を中国で売る人物に選んだんだけどね。

 

 彼はね、香港のマカオに強力なネットワークを持っていて、そのネットワークを駆使して、マカオのカジノで菅野の鞄を販売したいって、申し出てきてんだよ。男は、この申し出をいい話だと感じたのだ。その理由は次の通りである。男は、かつてのハードボイルドな空気感を内包するような香港マカオが気に入っていた。何しろ、男は、ハンフリー・ボガードやフランク・シナトラがどこからともなく出てきそうな、その街のカジノの雰囲気に粋さを感じていた。そして、その場に出入りする紳士淑女の立ち居振る舞いには、何か、ひとつのスタイルを感じたのだった。男が香港に出店を決めたのは、そんなところが理由だった。

 

 あとはさ、アメリカって国だよな。オレ、アメリカって国はよくわからないんだ。何しろ大量生産の国だろ。でもさ、既にハリウッドのセレブたちはオレの鞄を気に入ってくれただろ。それから、フェンダーっていう、ギターメーカーの副社長のジェフ・ムーアからの注文とかさ、シルバーアクセサリーの分野じゃ相当有名らしいビル・ウォールっていうデザイナーはリピーターにさえなってくれただろ。だからさ、アメリカ人の間でも、オレと感性の合うやつは、いるんだよ。だから今でも、オレの鞄のファンになってくれる人は、ちょっとずつ増えていっている感じはあるよね。噂は広がっていっているのかね。でも、今並べた名前ってのは、あくまでも個々に売っている顧客であって、アメリカに販路が出来たということではないよね。でもね、あるときね、オレのお客さんからハワイで店を出したいっていう申し出があったんだよ。それで遂にアメリカにも窓口ができたんだよね。そのひとつがハワイだよ。そうそう、あの世界中から観光客が集ってくるハワイね。彼は、元々、エアロコンセプトの鞄のファンだったんだよな。その彼のひとつのフィールドがハワイだったんだよな。まあ、ビジネスマンとしては、相当やり手みたいなんだよね。で、その彼が顧客としてではなくて、エージェントとして、エアロコンセプトを取り扱いたいって言ってきたの。で、オレは、「どうして扱いたいの?」って聞いたんだよな。そうしたら、「エアロコンセプトが好きだから」って言うじゃないか。オレも、彼のことは信用できる人だと感じていたし、好きだったから、すぐにこの申し出には乗ることにしたんだよな。信頼できる知人を通じてしか、オレは、自分でつくったモノを売りたいとは思わないよ。まあ、随分、古くさい商売の仕方しますね、とか、土臭いやり方だって、人には言われるけどね。この広め方が、オレは好きなわけだよね。

 

 でね、このアメリカという国に関してはさ、まだ話があってさ。エアロコンセプトは、また別のところからも話が来たんだよね。それはね、ラフル・ローレンっていうニューヨークに拠点を置くブランドからだったんだけどね。オレんところに、エアロコンセプトを取り扱いたいという依頼が来たんだ。オレも、簡単なことじゃ一喜一憂はしなけどさ、この話に関しては大喜びをしたのを覚えているよ。何故かというとね、ラルフ・ローレン本人のご指名での依頼だって聞かされたからね。いつかのルイ・ヴィトンのときとは違うだろ。だから、あちらさんの要望を聞きながら、ちゃんと専門家にお願いして契約書まで作成したんだよな。

 

 だからね、アメリカ、ニューヨークの進出は、もう決まったようなものだったんだよ。ところがさ、最後の最後にうなってね、オレ、この契約を破談にしちゃったんだよ。誤解しないで欲しいのはさ、別にオレが相手をからかって破談にしたってわけじゃないんだ。ちゃんと理由があってのことなんだ。理由はとても簡単なんだよ。それは単に、「仕入れた商品に対して、先払いをしてくれないから」なんだ。

 

 実はね、これ、取引きの条件としては、常識的には外れていることみたいなんだ。だけどさ、倒産を経験したからというもの、いつもオレの工場の取り引き条件には「先払い」ってのがあってね。入金確認をした後で、はじめて製作をするんだ。まあ、有名なところだしさ、製作したにも関わらず、その納品分が入金されないなんてことはないってことはわかっているんだけどな。でも、まあ、オレも嫌な想いはしてきたしさ、あちらが常識を主張するのなら、こっちもこっちの常識を主張したっていいわけだろ。ビジネスっていうのは、対等ってことなんだからさ。相手が世界的に知られた超有名トラディショナルブランドだろうが、こっちが知ったことではないからね。オレは、等身大の感覚でいたいんだよ。オレが信用しているのは名前じゃなくて、皮膚感覚にみたいなものだけなの。だからね、アメリカ本土への進出は今のところ、うまくいっていないね。でも、まあ、オレにとっては、もっと大きなことがあったからね。オレの工場がさ、名前を変えたんだよ。エアロコンセプトっていう名前にね。それは、オレにとっちゃあ極めて大きな一歩だったよ。だって、そりゃそうだろ。これはさ、今までは小さな町工場だったのがさ、恥ずかしいけどブランド名で食べていくって宣言しているのと同じだからさ。言ってみりゃあ、オレがひとりで取り組んでいた夢が、本当のことになっちゃったということなんだからね。

 

 俺の町工場はね、初代の祖父、二代目の親父、そして三代目の俺って続いてきたんだ。その筋じゃあ、ちょっとは知られた信頼の置ける精密板金加工の下請け工場としてずっとやってきたんだ。でもさ、誇りはあっても下請けとしていじめられてきたただの町工場がさ、いっぱしにも、まわりからはブランドとして見られるようになっちゃったんだよね。それで、株式会社渓水って名前だったのが、今じゃ、株式会社エアロコンセプトだろ。板金屋がブランドになっちゃったみたいで、おもしろいよな。一応、格好つけた言い方すれば、製品のブランド名が会社名になったってのは、俺にもそれなりの想いがあってのことなんだよ。だってさ、俺の好きなモノづくりが、今じゃ俺の工場の生業になっているわけだろ。菅野敬一が魂を込めてつくったモノが、俺の家族を養い、仲間の職人たちの生活の糧となっているんだよね。これは、今だって、俺は不思議だなぁ、なんか信じられないなぁって思うんだ。みんなは、こういう夢物語をどうやって思うんだろうなぁ。「成せば成る、何事も」と考えるのかね。それとも、俺のことを、ただの「幸運の男」と思うのかねぇ。まあ、俺は、もう今歩いてきた道に十分満足しているんだけどさ。人が成功しましたね、って言われりゃ、俺にだってそう思えるしな。だからと言って、俺の場合は、投資や不動産で稼ぐやつらみたいな大金を稼ぐ成功をしたわけではないんだけどさ。そもそも、そういうことはやりたくもねぇしな。俺にとっちゃあ、好きなことを追求して、それを形にして、それで生活できるってことが誇らしいんだ。まあ、俺みたいな人間は、もう絶滅危惧種だ。これを成功と呼ぶのなら、これは随分、古い形での成功の仕方だよな。でも、逆に言ったら、今の時代には、温故知新で、こういうのが新しい成功なのかもわかんねぇけどな。どっちにしたって、俺は、これからも、今まで通りやってくしかねぇんだよな。