最後の秘密

 

 

 あるとき、私は菅野と食事をしていた。菅野の、相変わらず目まぐるしく変る仕事の展開を耳にしながら、彼との話を楽しみ、エアロコンセプトの数奇な運命の話を楽しんでいた。その夜の会合のいくつかの話題のひとつに、どうしてだか、私はある知人の話を持ち出した。今という時代がいかに生きていくのが難しいかを、改めて彼に伝えたかったのだと思う。それは複雑に絡み合った社会の仕組みや時代のなかで、経済成長の時代を終えた日本において、債券を抱えた借金漬けの国のなかで、若者たち、青年たちが苦しんでいるということを伝えたかったのだと思う。

 

 「自分の知り合いで、最近、東京で勝負をしようとしている人が苦しそうなんですよ。彼女は田舎で畑をしながら細々とお店をするのがいいのか、それとも、東京という資本主義の集積地で自分のやりたいこと、好きなことを形にして勝負をするのがいいのか、ずっと考えて迷っていたみたいなんです。それで最終的に出した答えが、東京で勝負する、ということだったんですね。ある意味、最後の賭けとして、東京で商売をやることを選択したんです。でも、そう決断してから1年、やっぱり彼女のお店、経営的には厳しいみたいなんですよね。世知辛い世の中ですから、商売として成り立たせるのが、やっぱり大変みたいなんですよね。今、私らが生きている時代というのは、きっとそういう勝負をかけづらい時代なんだと思うんです。そんな時代の中でやっぱり好きなことを、自らの生業として確立するのって、奇跡みたいなとろこがありますよね。やっぱり難しいんだなぁって、彼女の話を聞いていてそんな風に思ってしまったんです」

 

 菅野は真剣な眼差しで、私の話を黙って聞いていた。しかし、少し話が途切れ、しばらくの間、沈黙が続くと、その間にボソリと言葉をはさんだのだった。

 

 「その人はさ、きっと勝負をしてしまったところに敗因があるんだと思うんだよな。勝負をしたら、勝つこともあれば負けることもあるんだよ。だって、勝負なんだから、そうだろ? たとえば、今、その人が勝っていたとしたって、それはそれで今度は勝ち続けるためのことをしないといけないじゃないか。俺は、ハナから勝負なんてしてないんだよ。俺が大嫌いな言葉に勝ち組、負け組っていう言葉があるけどさ。俺はそんな風に、人が人を”勝った人”か”負けた人”に分類して、分け隔てをして、色眼鏡で見るなんてのは大嫌いなんだ。別に勘違いして欲しくないのは、競争が悪いって言っているんじゃないよ。俺だって、スキーをやっていたスポーツマンとしては、競争することの意義とか楽しさくらいは知っているんだ。でもさ、今の社会が言う、勝ち組、負け組っていうのはさ、人間の存在自体を否定しているだろ。人間のことをバカにしているんだ。そういうところで勝負をすると、勝つこともあれば負けることもある」。

 

 商いの難しさの話の矛先が、より大きな話になった。そう感じていたところで、菅野は突然、険しい表情をつくると、話を商いへと戻し、こんなことを語りはじめたのだった。

 

 「結局さ、俺がエアロコンセプトでやってきたことって言うのは、こう言うことなんだよ」。

そう言うと菅野は、両の手の平でコップのような形をつくり、首をちぢこめると、自分の手の中をのぞきこんだ。菅野の両手の十本の指が、先と先を触れ合わせている。私は無意識のうちに彼の目線の先を追おうとして、彼の手の平がつくるコップのような格好の手に目をやってみた。しかし、そこには何もなかった。

 

 「いいかい。俺がやっているのは、この手の中のことだけなんだ。自分のことだけなんだ。自分のことを整えているというだけのことなんだよ。だから、無理もしていないし、とても楽なんだよ。誰かに何かを無理強いされてやっているわけでもないし、誰かに何かを頼んでやっているわけでもない。増してや、誰かと競争したり、誰かを蹴落としたくてやっているわけじゃないんだ。ただ、自分の好きなものを自分の手でつくっている。それだけなんだよ。たとえ好きなことをやっていたとしても、そこが、あなたの知り合いの東京に勝負をしにきた人とは大違いなんだ」

 

 菅野は、語気を強めてそんな風に語っていた。私は、何かいつもと違う様子を感じて、続けられる彼の言葉にジッと耳を傾けた。

 

 

 「だから、世間が、一人勝ちをしようとして、みんなでギャンブルやっているとするだろ。資本主義の経済が賭博場だと考えてごらん。あなたの知人は、東京の資本主義的な動きの中で勝負しようとしてお店を出したのだとしたら、それははじめから賭博に参加しようとしているのと同じことだよ。だから、勝ちを目指すこともできるけど、負けることもある。いや、むしろ負けることの方が多いだろ? でも、俺がやっていることは賭博じゃない。俺は、そこに参加している人たちとは全然違うところで生きているんだ。」

 

 そう言うと菅野は、今度は立ち上がって、45歩歩くと、私たちのテーブルから2mくらい先の場所でまた両の手の平で空のコップをつくったのだった。そして、すこし声を大きくすると、こう言った。

 

 「俺は、これをやってんの。ただただこれをやってんの。そっちで何をやっていようが、関係ないの。やっこさん相手の勝ち負けの賭博じゃないんだ。万一、勝ち負けがあるんだとしたら、自分自身との戦いで、自分自身との勝負なんだよ。」

 

 菅野は、そうして少し距離のある地点に立ちながら、手の平でコップの形をつくったまま話をつづけた。彼の声のトーンは、少し低くなり、まるで秘密を打ち明けようとするかのような、そんな口調へと変った。

 

 「でも、そうすると、そっちで賭博を楽しんでいたやつが、俺のこの手の平の中を見ようと覗き込みに来るんだよ。それで彼らは、"何やってるんだ?" って、俺に聞いてくるんだ。そんなこといきなり、大して知りもしない野郎に語るわけないだろ。だから、俺が、”まあ、自分の好きなものこさえているんです”とだけちょっと答える。そうすると、どういうわけか相手はさらに大きな興味を持ちはじめて、いらいらしだすんだ。それで、なんとか、俺の手の平の中にあるものを覗こうとするんだ。めでたく、手の中のものを見ることができると、そのモノが持つ力に驚いて。今度は、それを”自分にもつくってくれ”と言い出す。つくってくれって言ったって、俺も慈善事業家でも暇人でもないから、”だったら、お金もってきな”って言うだろ。そうすると、やっこさんは、お金を持ってくる。そして、持ってくるのは、それだけじゃない。やっぱり、自分が見つけた特別なものは、誰かに見せびらかしたくて、どこかで見せびらかしているんだろうな。それでその人は、知り合いも連れてくる。そうすると、その人がまた買いたいと言い出すんだ。その間、俺は、この手の中にあることだけ、思う存分、気ままにやっていりゃあいい。あっち側の賭博場で何をやっていようがそんなことは関係ないんだ。だから、絶対に負けないんだよ。負けようがないんだよ。勝ち組、負け組っていう枠組み自体に入ってないんだから、当たり前だよな。最初から最後まで、自分の中でのものづくりだからね。それにここだけでやっていれば、どんどん自分を凝縮していけるんだよ。どんどん精度も濃度も高くなっていくんだよ。そうすると、ある一定の人しか近づいてこなくなるんだよな。俺はそういう人とだけ付合っていればいいの。だから、自由だし、楽しいし、何より楽なんだよ。」

 

 

 菅野は、以前、自分自身のことを蜘蛛みたいだ、と言っていたことがある。蜘蛛の巣に鎮座する蜘蛛で、ときどき巣にかかっているものを見に行く。興味があれば、それを手にとってみて、また巣に戻る。確かにそんなことを言っていた。それから、磯の岩場にいる自らを蟹になぞらえていたこともある。また、「自分を省みると、相当わがままな人間だ」と自分自身を説明していたこともある。それらは全て、自分を柱にした生き方を表現したかったのだろうと思う。でも考えてみれば、それは彼がずっと一貫して口にしてきたことでもあるのだ。菅野は人に何かを教え諭そうとはしない人間である。でももしかしたら、彼がずっと言いたがってきたこと、それは「もっと自分らしく生きろ」「もっと自分自身に正直に生きろ」「好きなことをしろ」と言うシンプルなことなのかもしれなかった。

 

 

そして、菅野はまた続けた。

 

「俺が嫌いな言葉って、何度か言わせてもらったよね。さっきの”勝ち組、負け組”ってのもそう、”ブランディング”とか”マーケティング”という言葉もそう、それから”サスティナブル”とか”ウィンウィン”っていうのもそう、”ビジネスとは人と物と金だ”なんていう言葉もそうだ。伝わりやすさを意図的に活用して言っているんならまだしも、ああいう言葉を本気で言ってる奴ってのは、相当、感覚が鈍いか、詐欺師みたいな商人か、相当、性悪な人間なんだと思うよ。なんでかって言ったら、自分の好き嫌いでやっていないことに本当のことなんてあるわけがないんだよ。本当のことって言うのはさ、本気になっているってことだ。自分自身で選んで、自分の足でその道に進みたくて歩みを進めて、自分の手で形をつくるってことだ。それは結局、自分自身に、内側に目を向けていなくちゃできないことなんだよ。俺が、この手の中だけのことをやればいいんだ、って気がついたのは、倒産して自分の人生が危うくなってからだよ。そうしかできなかったからね。どっちかっていったら自暴自棄なキッカケだよ。別に今みたいな、夢みたいな状況が起こるだなんて、俺自身、想像さえしなかった。作為的につくろうとさえ、しないよ。本当だよ。するとしたら、俺の好みの演出くらいなものさ。でも、歩んでいく道のりのなかで、俺は気がついたんだ。それで、最後に俺があんたにひとつ教えてやれる秘密があるとしたら、これなんだよ。この手の中のことをやれば、必ず花開くってことなんだよ。それは別に、手づくりで何かをつくれって言うことじゃないよ。職人になれって意味でもないよ。あなたはあなたをみてごらん。自分のことをみてやんなよ。自分が本気でやりたいことって、どういうことなの? それをこの手の中を整えていけばきっとわかることなんだよ」。

 

 菅野はそう言うと、しばらくの間、その手の形を崩さなかった。初夏の涼しげな風が吹き抜けていくのを感じながら、私らはその店を出た。随分と長く続いた。私は5年もの間、ずっとこの男にインタビューし続けてきた。けれど、もうこれでお終いにしよう。私はこれを最後のインタビューにしようと、決めると菅野とお別れをした。菅野は、耐用年数をはるかに超えた愛車のスバルの窓を開けながら、「どうもね。ありがとうね」とまたあの屈託のない笑顔をみせると夜の街へと消えていったのだった。

 

 こうして、私はこの男から生きることを学んだ。職人として、ひとりの人間としての成功哲学を学んだ。果たして、このひとりの男の生き方が、自分以外の人間にどう響くのだろうか? それははっきりとは、わからない。ただ、彼の成功の仕方というのは、今、この21世紀初頭において、極めて稀な成功の仕方なのである。自分を、そして他人を大切にしながら、生産効率や生産コストなど、資本主義で求められる基本要素とは正反対のベクトルに舵を切り、成功した。好きなことを好きな形でやりたいようにやって、誰に媚びることもなく、誰を傷つけることもなく、成功した。こんな形の成功があるのなら、是非とも、その秘密を知りたい。明かしてみたい。少なくとも、私はそう感じて、彼に話を聞き続けた。きっとこの広い世界には、似たような、もしくは、同じように菅野に興味を持ち、何かを得たいと考える人が、今の時代にも、これから50年後にも、日本にも、地球の裏側にも、少なからずいると信じている。そんな生きるための指南書が、この先100年の間、この資本主義にすっかりがんじがらめになってしまったこの地球という星において、多くの人の人生の、新しいビジネスの参考書になればいいと、私は本気でそう思っている。