人を助ける


 あるときのことである。私は菅野からメールで誘いを受けたことがあった。菅野は、どうしてなのか、何の肩書きもないような私のような人間をもときどき誘ってくれた。

 

 なんでも彼のメールによると、エアロコンセプトが恵比寿のとあるお店に置かれることになった。そのお披露目会をやるから出席しないか? ということだった。そのお店は、○○○と言う名でアスプルンドという家具メーカーが新しくオープンするセレクトショップだった。このお店に、エアロコンセプトが置かれることになったのだという。錚々たる海外の選りすぐりのブランドが並べられているゴージャスな店内の一角に、エアロコンセプトのスペースをつくられせて欲しいと、アスプルンドの○○社長に頼まれたのだ。そして、そのオープニング・パーティーがあるからと、私のことを誘ってくれたのだった。

 

 私はその日、仕事の打合せが入っていたので、「仕事の打合せが早く終われったら参加させてもらいます」とだけ答えていた。当日、打合せは早く終わり、私は無事そのパーティーへと参加できそうだった。たまたま、その打合せはデザイン性の高いインテリア商品で起業をしようとする台湾人青年とのものだったため、私は軽い気持ちで彼のことも誘ってみることにした。「もし良かったら、今日、なんだか面白そうなインテリア業界のパーティーがあるんだ。もし良かったら、一緒に行かない?」。すると、彼は、何かを感じるものがあったのか、「わかった。忙しいけど、時間を調整してみる」と返事をくれたのだった。彼は、ダニーという20代後半の台湾人青年で日本での起業を志していた。

 

 私らはパーティーが開催されるお店の前で、再会すると、早速、オープニングパーティーの会場へと足を運んだのだった。中に入ってみると、その華やかさに、私らふたりはいささかたじろいだ気持ちになっていた。何しろ凡庸な日常からはかけ離れた、華やかできらびやかな空間が広がっていたのだから仕方なかった。陳列されたものをひとつひとつ見てまわる私らは、世界にはさまざまにユニークでありながらゴージャスなインテリア商品があるものだと、感心させられていた。エアロコンセプトはと言えば、入り口から一番近い、一番目立つところに並べられていた。私は少し誇らしい気持ちで、「ほら見てごらん、これがエアロコンセプトっていうブランドで、私の知人がつくっているプロダクトなんだよ」とダニーをガイドしていた。彼は、「何だか世界が違うよ」と半分嘆息まじりに言葉をはいていた。そんな彼に「紹介してあげるからさ。ちょっと待ってなよ」と、私はあたりを見まわした。エアロコンセプトの商品コーナーには、きちっとしたスーツを着た女性たちが、立っていて、エアロコンセプトを格調高い声色で説明していた。私は、恐る恐る、彼女たちに「すみません。菅野社長はいませんか?」と聞いていた。しかし、返ってきたのは、「あ、今、菅野は、中座しておりますね。どなたかと面会中かもしれません」という答えだった。会場は混雑していて、洒落た格好の人や格調高いスーツの人たちで溢れていた。「ああ、やっぱり、こういうパーティーのときは忙しいから、なかなか話もできないのかな。ダニーを連れてきたのは、ちょっと失敗だったかもしれない」。自分たちの分に合わないパーティーで、そんなことを思っていていた矢先のこと、私は肩をポンッと叩かれた。振りかえってみると、いつもの愛くるしい笑顔の無邪気な職人、菅野が、少しだけめかしこんで立っていた。ジーンズに白シャツ、足にはワックスの塗られたピカピカの革靴という出で立ちだ。「やあ、来てくれたんだ。ありがとね。うれしいよ。凄いだろ。こんな場所にエアロコンセプトが置かれることになっちゃったんだよ。」。私は、ほっと安心すると、横に立っているダニーのことを紹介した。「彼、ダニーって言うんです。台湾から来て、日本で起業をしようと頑張っているんです。菅野さんに会わせたいと思って、今日、連れてきたんですよ」。菅野とダニーは、名刺を交換し合うと、握手をし、目と目を合わせた。ダニーは、台湾人なのでもちろん日本語は得意ではない。しかし、それなりに話しができた彼は、一生懸命に自分のことを説明した。台湾から来ていること、日本の大学を卒業していること、起業をしたばかりの新米で、まだ成功はしていないけど成功できるように頑張っていることなど、そして、持ち歩いていた取扱い商品まで見せ、商品の説明まではじめていた。

 

 菅野は、ダニーの説明に聞き入っていた。そして、鋭い眼光をゆるめると「あんた、日本に何年いるの?

随分言葉上手いんだねぇ」とまずは、ダニーの日本語能力の高さを褒めた。そして、もう一度ダニーの瞳の奥を見つめると、「ちょっと待ってな」とそう言い残すとしばらくその場を離れ、このパーティーの主催者であるアスプルンドの島本社長を連れて戻ってきた。この新ショップ、そしてメーカー・アスプルンドの総帥でもある人物をだ。そして、ダニーのことを指しながら、「この子ダニーって言うんだ。面白い商品つくってるんだって。ちょっと見てやってくれないかな。扱っている製品も面白いんだ」と会ったばかりのダニーを島本社長へと紹介したのだった。ダニーはこの一件にかなり当惑している様子だった。紹介とはいえ、はじめて会った人物が、どうしてそこまで自分のためにしてくれるのか、不思議でならなかったのだ。

 

 後日、ダニーは、アスプルンドとの取り引きを開始することになった。このパーティーの後も、菅野が間に入って、口利きをしてくれたのだ。お陰でダニーは、今までは考えもしなかったビジネス展開を進めることができるようになったのである。

 

 ダニーは、ずっと不思議がっていた。「ねぇ。どうして菅野さんは、あんなに私に親切にしてくれるんだろう?

私みたいな、何の肩書きもない人間に対して。何だか変な気持ちだよ」。私は、「心配しなくてもいいよ。彼は、何かを企んでいるような悪い人じゃないから。きっと、ダニーのことが気に入ったんだと思うよ」と返していた。ダニーは、答えた。「いや、心配なんてしてないよ。ただ不思議に思ったんだよ。でも、菅野さんという日本人は、あそこにいた誰よりも存在感があって、他のビジネスマンとは明らかに何かが違っているように感じたんだ。心があるっていえばいいのかな……」。私は驚いていた、彼の存在感というものが国籍を超えて人に伝わっていることの凄さに。私は、あまりにも間近に彼を見続けていたせいで麻痺してしまっていたが、確かに、ダニーが感じ取ったことと同じことを私も最初菅野に会ったときに感じていたのだ。彼は、他の偉い人たちとは、明らかに何かが違うのだ。具体的に言えば、「目玉をギョロギョロと素早く動かしたりしない」し、「心ここにあらずと言ったような形式だけの挨拶やうわの空な会話をしない」し、「つくり笑顔や媚びへつらうようなしぐさをしない」のである。逆に言えば、どこかの団体が開催する賀詞交換会に来るような政治家や企業のお偉方は、それら3つをほとんど網羅するような振る舞いしかしないと言っても良い。それに対して、菅野は、人間の実存感と言う表現がぴピッタリな振るまいをし続けるのだ。つまり、ビジネスの社交場においてさえ、彼は野生的であり、動物的なのである。だから、異彩を放ち、外国人であるダニーの目にさえ「まったく違う存在」として映るのである。

 

 あとで、私は、菅野に聞く機会があった。

 

 「ダニーが菅野さんに大変感謝しているって伝えてほしいと言ってました。それから、”どうして自分みたいな何の地位もないような人間のことを面倒みてくれるんだろう?”って、不思議がっていましたよ」。

 

 すると、菅野は、「肩書きがないからこそ、面倒みるんじゃねぇか。成功してねぇから、助けてやるんじゃねぇか。オレには、絶対的に決めていることがひとつあるんだ。人から助けを求められたら、受入れてやるんだ。」とはっきりと言い切った。

 

 そう言えば、菅野は、ある学生がメディアに踊っていたエアロコンセプト物語に感動して連絡してきて「就職したい」と言ってきた際にも、彼のことを見定めることもせずに受入れることをしたことがあった。エアロコンセプトほど、名の知れたブランドで、しかもスタイリッシュで、インターナショナル性の高いメーカーなら、人を採ることに対してもっと慎重になりそうなものだ。いろいろな採用基準を設けて、書類審査、1次、2次面接を行い、ふるいにかけそうなものだ。しかし、菅野はそれを一切行わずに「アンタが本気で入りたいんなら、入ればいいよ。オレは来るものは受入れる主義だからさ」と言って採用をいとも簡単に決定していた。しかし、残念ながら、数ヶ月後、その就職希望の学生は、やはり何か考えが違ったのか、途中、エアロコンセプトへの入社を断念している。しかし菅野は、どこ吹く風で、そういうこともあるさ、といった様子しかみせない。袖にされても、それによって左右されることがないのだ。

 

 もちろん、このやり方に対しては、賛否両論あるはずだ。「人材選別のルールは明文化しないといけないんだ」とか「会社のセキュリティ問題に関わるから慎重にしなければならない」とか「ビジネス上で付き合う人は徹底的に選べ」とか。しかし、彼はそれをしない。否、していないのではなく瞬時に直感的に彼の心が行っているのだ。そして、人として極めて当たり前の「人を助ける」という心を紡ぐことに徹するのである。では、彼のこうした「力なき者を助ける」という姿勢が、どんなものをもたらすのだろうか?

これを彼が意識しているかいないかはわからない。しかし、まず間違いなく彼が得ているものは、周囲からの信頼だ。私が見る限り、彼は部下たちからの圧倒的な支持を得ているようだった。

 

 普通だったら、会社の本業が傾いているときに、会社社長がまるで異なる、趣味のようなものづくりに精を出していたら、異議を唱える者もいるだろう。しかし、彼には、信頼があった。そして、その信頼は「いつなんどきも弱きを助ける」という彼の人間性に立脚しているらしかった。50年もの間、菅野と一緒に働いてきたひとりの職人が彼を称してこう言った。「風邪なんかひいたら、わざわざ私のために病院まで探してくれたりするし、困ったことがあったら助けてくれる。社長は、ずっとそんな人ですよ」。今のリーダーたちが平然とした顔で行う、売上げの数字をあげるための人心操作としてのコーチング・テクニックやマネージメント・テクニックに奔走するのと比べると、菅野のそれは明らかに異なる。「人間として」というのが柱にドッカリとあるのだ。リーダーとして、ついていきたくなるのだ。その気持ちは多くの人が共感してくれることだろう。とにかく、菅野という男は、人を受入れ、人を助ける男なのだ。そして、ダニーは、その人として極めてシンプルなことをやっている人間が、日本という国に、ビジネスの世界にいることに感動していたのだ。

 

 実は、この話にはオチがある。数ヶ月後、ダニーはエアロコンセプトの台湾のエージェントをすることになった。菅野がダニーのひたむきさと誠実さを買ったのと、彼のビジネスを少しでも助けてやりたいと考えたのだろう。しかし驚いたことに、ダニーは、台湾のとある財閥の御曹司だったのだ(これは紹介者である筆者も知らなかった)。そしてダニーは、エアロコンセプトの販路拡大のために、彼の父のことに触れた。「私の父は、○×ホテル・グループの筆頭株主です。私の父に言えば、そのホテルではエアロコンセプトを売ることができるかもしれません」。菅野は、この申し出にたいそう興奮していたし、驚いていた。「おいっ。オレ、あの子、助けてやろうって思ったんだけどさ、実はあいつ、すっごいいいとこのお坊ちゃんだったんだよ。wホテル・グループって言ったら、アジアだけじゃなくて、世界中でも有名なホテルだからな。おもしろいよな。だからさ、オレ言ってやったんだよ」。菅野はダニーに一体何を言ったのだろうか? もしかして、今度、お父さんに会わせて欲しい、とでも言ったのだろうか?

 

 私はそんなことを思っていた。しかし、菅野が言ったのはこんなことだったのだ。「いいかい、ダニー。お前はお父さんの力を借りて、売っちゃいけないよ。自分の力で担当者の信頼を得ながらビジネスを拓いていくんだ。○×ホテルで売りたいなら、お父さんに言わないでやってくれよ」。