職人の独り言、三

 

 

 最初のお客さんは、建築の設計の仕事をしている人だったよ。設計図を入れる鞄が欲しかったみたいなんだよな。それでつくってやったら、この鞄をいつも持って歩いてくれるようになったんだろ。まあ、いわば建築家さんだからさ、そういう職業の人のまわりには、きっとモノが好きな人たちが沢山いると思うんだよな。そういうなんというか、モノ好きの人たちはさ、またきっとアンテナを張ってると思うし、集まってるんだよな。だから、俺がつくったモノが広まったのは、口コミだったんだよ。

 

 だけど俺からしてみると、本業はあくまでも下請け業者としてのアルミ素材の精密板金加工の方だろ? 気持ちとしては、「商売にしよう」ってことにはならないさ。自分の仕事の合間を縫って、「自分が欲しいモノづくり」をして、つくってあげて、喜んでもらう。そんな程度のものさ。だって、俺は、デザインも商売も知らない職人なんだよ。楽しみでつくるほかないだろ。でも、それが発端なんだよな。だから、自分がつくった「鞄」が「ブランド」になるなんていう想いはなかったんだよ。「ブランド」なんていうものを自分がつくれるという発想があるはずがはいじゃないか。だって、俺はただの町工場のオヤジなんだよ。

 

 ただ俺にあったのは、自分のつくりたいモノをつくっていく気持ちだけさ。もちろん、自分のつくりたいモノが売れていくことには、吃驚させられたよ。それに、いくら格好つけたって、そりゃあ、これだけ世間から注目されれば嬉しいさ。だからさ、当たり前かもしれないけどさ、俺の頭にだって夢みたいな考えはよぎっらなかったわけじゃないんだよ。ああ、こんな夢みたいに楽しいモノづくりが自分の仕事になったらいいのになぁ、ってね。でも、いくらそんな夢みたいなことを考えたってさ、俺みたいな職人風情には、それがどうしたら形になるのかなんて分かるはずもねぇだろ。それに、こんなこと言うのは恥ずかしいけどさ、俺には、自分に対しての忠誠心みたいなものがあったんだよ。最期の欲望っていうのかな。「自分が欲しくなるモノのモノづくり」って、一番最初に考えた自分に対する忠誠心がね。だからさ、みんな、笑うかもわかんないけど、横文字を並べるばかりの奇妙な話を口にするビジネスマンたちとは、関わり合いになりたくなかったんだよな。まあ、はっきり言えばさ、最初っから、俺のモノづくりの芯は決まっていたからね。言ってみりゃ、今も初心のまんまなんだよ。

 

 オレはさ、倒産の憂き目から、死の淵に追い込まれただろ。それで自分の欲しいモノづくりをはじめただけなんだよな。誰かのためやお金のためにこれをはじめたわけじゃないわけだよ。まあ、そう呼びたけりゃ、趣味って言ったっていいんだよ。単に、これは自分のためのモノづくりなんだよ。自分に嘘をつかないモノづくりって言うのかな、丸裸のモノづくりって言ったら大げさかな。これが死と見つめ合うことで俺が決して離さないことを誓った核心だったわけ。

 

 なんか、俺って頑固だよね。こんなに頑固なのに、奇跡みたいに次から次にいろんな奇跡が連なっていくってのは、ちょっと自分自身不思議なんだよ。いやぁ、でもよくよく考えてみたら、頑固だからこそみんな俺のつくったものに興味を持ってくれたのかもしれないよね。俺みたいなのからしたら、今まで起こってきたことっていうのは、奇跡だからね。本当に涙が出てくるよ。でもさ、面白いんだよ。ある人はさ、こんなこと言うんだ。「菅野さんが成功したっていうのは、職人としての腕前や才能もあるかもしれないけどさ、菅野さんという人間に惚れたから、みんな、菅野さんがつくったモノを欲しがると思うんだよね。」だってさ。笑っちゃうだろ。俺の生き方が、よそ様から見たらどう見えるかなんて、わからないけどさ。その生き様がいいんだって言うんだよ。ばっか言ってるよな。いくらどんな馬鹿なビジネスマンだって、そんな人間の力で商売してくれるものかなぁ。俺は、商売のことは分からないけど、本当に、そう思ってしまうんだ。でも、有り難い話で、俺は人には恵まれているんだ。男の人も女の人も、本当に、みんな面白いし、よくしてくれるよ。彼らと心の通った話ができるのが、何よりも嬉しいし、何よりもの楽しみなんだよ、俺にとってはね。工場の仲間とか、同業者の後輩とか、そういうやつらといるのもいいし、俺とは全然関係ない世界の、医者とか、政治家とか、建築家とか、プロデューサーとか、実業家とか、投資家とか、ミュージシャンとかさ、そういう人たちと一緒に話のもの好きなんだよなぁ。幸いにして、俺のお客さんには、そういう変った職業の人たちが色々いてくれるから、世界が広がってありがたいよな。

 

 あの鞄をいっここさえたことで、いつの頃からか、町工場に華が咲いたよね。まあ、しばらくはさ、下請け工場やりながら、生業を稼ぎながらの、自分の好きなものづくりだったけどね。でもさ、俺の鞄がキッカケになって、そうやって人が集まってくるのが、俺にとっては最高に嬉しいことだったんだよね。でもさ、そうやって、段々、俺が華やかな感じの流れに乗っていくだろ、そうすると何が起こると思う? 今までは、箸にも棒にもひっかけなかったような連中がさ、俺に近づいてきて、俺にゴマするんだよ。まったくお笑い草だよな。人のことなんだと思っているんだろうね。ちやほやすりゃあ、俺がそれに乗っていくとでも思っているのだろうかね。

 

 でもね俺、そういうの見ても、何とも思わないの。そりゃあ、見たこともないような肩書きだったり、テレビとか映画でしか見かけないような職業の人を見たら、俺だって、興味は持つんだ。いろんな知らない話を聞くのって面白いじゃないか。でも、肩書きによって、態度を変えたり、媚を売ったりするのなんて、みっともねぇだろ。むしろさ、俺は知られてなくても頑張っていたりさ、素直だったり、謙虚だったりする奴と話をしているほうが、本当はずっと気が休まるんだよ。何か、どん底の自分と重ね合わせる部分があったのかもしれないよね。でさ、ある日のことなんだけどね。なんだかんだと、口伝えに広まった鞄が、どこからか飛び火して、とあるセレクトショップとやらのバイヤーの目にとまることになったんだよ。それがまわりの人に聞けばさ、相当有名なこのセレクトショップらしかったんだ。だけど、俺はほとんど知らないよ。だって、そもそもセレクトショップっていうのが何なのかだって知らなかったんだからさ。ところがさ、このセレクトショップのバイヤーさんとやらが、一目で俺のつくった鞄を気に入ったって言うんだよ。それでこのバイヤーが凄いのはさ、即座に俺の商品を仕入れることを決断したんだよ。俺、そういうのに弱いんだよ。「あなたの鞄に惚れました。だから売らしてください」って、殺し文句。だってさ、それまで、マーケティングだ、ブランディングだ、なんて言う変なバイヤーが多かったからね。だから、俺は、このセレクトショップに卸してやることにしたの。それがユナイテッドアロウズって、とこだったの。遂に、こうしてさ、俺みたいな一介の板金工がつくった鞄が、お洒落なお店で商品として並ぶことになったんだよ。まあ、言わば商品として陳列されたわけだよな。俺にしてみたら、趣味でつくった「作品」としか呼べないようなものなんだけどね。でも、自分がつくったモノが、知らない人たちが出入りするお店という場所に置かれたのは感慨深いよ。 

 

 セレクトショップって、いろいろ人に聞いてみると、なんだかファッション好きな人たちが行き来する場所だろ? セレクトショップっていう場所はさ。そういう人たちがさ、俺のつくった鞄の前に足を止めてさ、しげしげと見慣れぬモノを手に取ってさ、眺めていくわけだろ。俺にとってはさ、もちろん嬉しいことさ。もちろん、お洒落過ぎて違和感がないわけではないよ。でもなぁ、やっぱり俺がこさえたものを好きって言ってもらえたら嬉しいんだよな。それでね、そこからしばらく時間が経ってのことだったんだけどね。今度は、有名なライフスタイル誌で『ペン』ていうのがあるよね。そこから取材の依頼を受けることになったんだよね。これが俺の人生ではじめての取材だったんだよ。もう喋っているときは、何を喋っていいのか、わからなかったし、気恥ずかしかったけどさ、なんて言ったってはじめてのことだろ。だから、一生懸命話したよな。それから数週間後のことだったよね。俺のインタビューが載ったその雑誌が、書店に並んだのは…。もうそうなったら、そこが本屋だろうが、大粒の涙が止まらなくなってさ。俺、もうレジに並びながら、ポロポロポロポロやってんの。「いや、違うんだよ、おばちゃん。オレがこさえた鞄がさ、初めて雑誌で取り上げてもらえたんだよ。だから嬉しくて涙が止まらなくてさ」。さすがに、俺もレジのおばちゃんに訳を話さなきゃいけなかったもんな。この雑誌を持って帰って、工場で見せられるときはさすがの俺も嬉しかったよ。今まで苦労や心配をかけた工場の仲間だからね。彼らだって、これを見たら、誇りに思ってもらえるだろう、喜んでもらえるだろうって、嬉しかたんだ。ところがね、工場についてみると、俺の想像を超えることが起こっていたんだよ。何だと思う? 電話が鳴り止まないんだよ。メールだって、次から次に入ってくるしね。「どこに行けば買えるんですかか?」とか、「どうすれば、自分にもつくってもらえるんですかか?」とか、「インターネットでは買えないんですか?」とかね。みんな雑誌を見た人たちからの問い合わせなの。電話が鳴る日はね、しばらくの間、続いたかな。でもさ、面白いんだよ。それまでは、「社長にあんな好き勝手なモノづくりさせてたら、会社としてはマズいよ。あんなこと止めさせなよ。」っていう空気は何となくあったんだけどさ、それがガラリと変っちゃったの。いや、でも、みんなの立場になってみたらさ、そりゃあ、そうなんだよ。社長である人が好き勝手なものをつくってたら、きっと不安になると思うんだよ。でも、最後には、みんな、一緒に喜んでくれたからね。「社長、良かったじゃない。」「いやぁ、凄いねぇ。」って、嬉しい声があがったよね。

 

 いやぁ、でも、仲間うちからの声援って、本当に温かいよな。俺だって、一応は、小さな工場かもしれないけど、大将なわけだからね。随分、励まされたよ。でも、この騒動は、これだけでは終わらないで、仕事に結びついていった点なんだよな。この町工場に届いた問い合わせの中には、「どうやったら、取り引きができるのか? どうやったら、仕入れることができるのか?」というものも混じっていたんだよね。なかでもね、やっぱり一番凄かったのは、超有名百貨店からの問い合わせだったよ。日本人だったら、知らない人がいないくらい有名な老舗の、三越百貨店っていうのあるだろ。あそこが取引したいって言ってきたんだよね。これには、正直、嬉しいなんてもんじゃなくて、興奮したよ。それで、工場の仲間、父と母をみんな集めて言ったんだ。「おい、オレのつくったモノが百貨店で売られることになったんだ。それも日本で一番有名な百貨店でだぞ」。みんなからは、歓声みたい声はあがるしね、あの、あんまり人のことなんて褒めもしない俺の親父だって、素直に喜んでくれたからな。泣かずにはいられないよな。