職人の独り言、二

 

 

 俺がそんな想いを胸に抱くようになるとさ、不思議なことがいろいろ起こるんだよ。キッカケになるような出来事が次々に重なってったの。ある日のことだったな、とあるプロダクト・デザイナーが俺のところを訪ねてきたんだよ。それで、そのプロダクトデザイナーさんとやらは、俺の顔を見るなり、こう口にしたんだ。「アルミ素材を用いて、板金加工技術を用いた家具をつくりたいんです」ってね。そんときだよね、俺の心に「本当にしたいモノづくりが去来したのはさ。俺はさ、最後の欲を思い浮かべてね、そんなことするのははじめてだったし、普通の町工場なら受けないリクエストなのかもしれないけどさ、受けることにしたわけだよ。


 そのデザイナーはね、家具の絵を描き、再現したい雰囲気を俺に伝えてきたんだよね。別にそれは、今のエアロコンセプトとは全然かけ離れたものなんだけどね。俺は、とりあえずそのデザイナーの要望を受けて、設計図を引くことにしたんだ。でもさ、いくら自信があっても、はじめてのことは、はじめてのことで、不安と恍惚が入り交じったような感覚に陥るんだよね。だからさ、不安からも期待からもよく働いたよね。特に自らの技を注ぎ込み、形にできるものについては、本当にやりがいが出てくるよな。なんてったて、俺たちは、部材の設計はしていたけど、生活用品をデザインを土台につくったことなんかなかったからね。

 

 部材の設計をすることは日々の仕事だしさ、自分用に何か、生活用品みたいなものをつくるってのは、ないわけじゃなかったんだよ。だけどさ、デザインの整った生活用品をつくるなんていうことは、昔ながらの板金工の頭には思い浮かびっこないわけだよ。でも、一通りやってみると、あ、デザインって、こういうことなんだって、何か掴めた気がしたんだよね。デザイナーの仕事ぶりは華やかだったし、素晴らしかったしね。でもさ、普段の俺たちがやってる仕事とは大きな隔たりがあるわけだよ。感覚的なものだね。ひと言で言えば、なんか水が違うんだよなあ、って。だけど、この一緒にした仕事からは、得たヒントは小さくなかったかな。オレはデザイナーでもなければ、デザイナーにもなれない。だけど、こんな風にすれば、思い描いたことって、カタチになるんだぁ。これなら、オレにだってできるはずはないぞ。って、変な勘違いしちゃったのかもしれないな。

 

 だから、一旦、そんな考えが頭によぎっちゃったらさ、俺の性格としてはいてもたってもいられないんだよ。スケッチブックなんか買ってきちゃってさ、目を瞑って、想像の羽を自由にふくらませちゃうわけ。オレのアルミ素材の板金加工という技術を目一杯に使ったら、一体、どんなモノがつくれるのだろう? って。 オレはどんなモノを自分自身に持たせてやれるだろう?ってさ。自分にそう問いかけるとね、不思議なもんで、手はいろいろ描くんだよな。濃い2Bの鉛筆がスラスラ~ってね。よどみなかったかどうかは忘れたけどな、その筆でまず描いたのhが鞄だったんだよ。

 

 俺がね、考えたのはね、やっぱり最初っから、エアロコンセプトだったんだよ。薄いけど頑丈で、シンプルだけど、何かかっこいいなぁって、そんな風に思える鞄なんだよ。その感触はさ、俺がまだ少年だったころにいろいろ触ってたものみたいな感じの鞄がいいなぁ、とかぼんやり思ってみたりね。そう、親父からもらっって、遊んでたライカみたいなのな。どっか繊細なんだけど、自然の無骨さもあるみたいなね。大体、どんくらいかかったろうねぇ。最初の一台の鞄をつくるのには、やっぱり相当な時間がかかってるんだよ。完全な形を目指して、少しずつ少しずつね。鞄が完成にまでいくのは、長い道のりだったなぁ。案外、大変なんだよ、内部の構造部分や機構部分をつくる作業ってさ。まあ、面白くもあるし、困難な作業でもあるんだけどね。しかし、ひとつひとつの難問が乗り越えられると、自分の欲しいモノに近づいてわけじゃないか。それは、何よりもの喜びだよな。大げさに言えばさ、俺にとては失意のなかの、たったひとつの希望だったのかな。

 

 だから、もう夢中だよな。希望のカケラを形にするのがさ、楽しいしな。ただもうひたすらに試行錯誤の連続って感じさ。えっ、例えばって、そうだなぁ、一番気にしたのは、鞄の開閉の音かな。あの開閉の音をさ、ライカのシャッターを切る音に似せたかったんだよ。そのためだけに、耳を鞄に当てては、板を打ち直すという作業を繰り返したんだから。本当に全身全霊を込めてつくろうと思ったから、持っている技術は全部出し切ろうって考えてたと思うよ。あと、それから、何があったかな? あ、そうそう、例えばさ、アルミの筐体に革を張り合わせるという技術な。あれは、今まで誰もやろうとしない無謀なアイディアだったと思うんだ。でもさ、頭に浮かんだものをスケッチすると格好いいんだよな。だからさ、それができる革の縫製職人を探すしかないだろ。それで、これが上手いこと見つかるんだよな。人が紹介してくれてさ。それからね、そうなると、今度は、鞄に張る革にだってこだわりたくなるだろ。経年変化が美しい革っていったらさ、やっぱりイタリア製だよな。これを、こだわり抜いて設計して板金加工した鞄に張るんだよ。これが、自分で言うのも何なんだけどさ、かっこいいんだ。ハンドルという取っ手にはさ、200以上もの針を通すようにしただろ、そうすっと、イタリア車のハンドルのような高級感がにじみ出てくるんだよ。あとさ、今じゃ見慣れたエアロコンセプトのあのデザインっていうのもさ、最軽量の形を模索しているときにたまたま考えついたものなんだ。穴の開いた内部筐体をむき出しにしてみたらさ、その美しさに心を奪われちゃってね。このまま、むき出しの形をデザインにしちゃったら。かっこいいなぁって。アイディアっていうのはさ、そんな風にどんどん自分の内側から沸いてきたんだよな。

 

 ところがさ、まわりの人たちの中には、飽きれたもんだなぁって、俺のこと見るやつがいたんだよな。あの頃は、随分と後ろ指を指されてたと思うね。だって会社を潰した町工場の経営者がさ、何だかいかれちまったように理解不能なものをつくっているんだからさ、笑われても仕方なかったのかもしれないよな。なんで道楽をしてるんだ、アイツはってさ。だけど俺の想いが向いていたのは、どうしてもただ一点だけだったんだよ。自分が欲しいモノづくりをするんだっていう、ただその一点だけに向いてたんだ。やっぱりさ、一度、「死」を覚悟しちゃうとさ、まわりの雑音なんか耳を貸してるヒマはなくなるだろうな。世間の常識なんか、元々、媚を売る質じゃなかったしね

 

 そんなこんなして一台目の鞄が完成したときには、1年以上は経ってたんじゃないかな。ちょっとずつつくってたから、時間かかったんだよ。できあがったときは、それは嬉しかったよ。なんか、自分の中ににあったひとつの欲が形になったんだからね。あれはいいがたい満足感だったね。最高に充実した気持ちになれたなぁ。でもさ、不思議なものでさ、人間ていうのは、ひとつ想いを形にすると、次を考えんだよな。「ああ、もっとつくりたいな。あんな形も、こんな形もつくりたいなぁ」って、沸き上がってくるんだ。えっ、クリエイティビティだって? 俺は、そんなことは分からねぇんだよ。でもさ、まあ、あえてそういうのを日本語にするなら「創造力」みたい言い方ができるのかもわからないな。もう、やっぱりひとつ形にしたって自信がそうするのかもしれないな。ドンドンとアイディアが沸き上がってきたからね。

 

 なんたって、最初ってのは、一番難しいんだよ。製作面する過程でさ、基本的なところを固めていかないといけないだろ。機構的な部分、構造的な部分というのさえ、ある程度、ひとつのモノとして形にできたら、後はそれを応用していったらいいだけだからね。ひとつ鞄ができてしまえば、眼鏡ケースだろうが、名刺ケースだろうが、スーツケースだろうが、何だってできちゃうよ。アイディアが沸いてでてくるっていうのもわかるだろ? スケッチ帳に下絵を描いて、その中からよさそうなものを選んで、ひとつずち形にしていくんだ。そうするとさ、俺がこさえたものを見て、俺に頼み込んでくる奴が出てくるわけ。「ねぇ、悪いんだけど、お金はちゃんと払うからさ、それ、オレにもつくってよ」って。でも、俺としては、別に売ろうと思ってつくったわけじゃないからね。「いやぁ、悪いんだけどね、俺は売ろうと思ってつくってないんだよ。自分で自分の欲しいものをつくりたいと思ってつくっているだけだからさ」って答えてたんだけど、どうしてもってお願いされちゃったら、断るわけにはいかないだろ。でも、今だから言えるけどさ、それは内心は嬉しくて仕方ないんだよ。だってさ、自分が欲しいと思ったモノを他の人が欲しがって、しかもお金まで払うって言ってくれているんだからさ。そらぁ、驚いたよ。しかもさ、それがポツポツと増えていったんだからな。つくってやったモノを見た人が、「僕にも、私にもつくってくれ」って、言ってくるんだよ。まるで、こさえたモノが営業しているみたいなものだよな。まるで藁しべ長者みたいな話だろ。