熱を伝える

 

 

 「この間、香港の『ジェットセッター・マガジン』という雑誌の取材を受けてきたんだよ」。久しぶり菅野から、聞いた話は、海外進出に向けて、一歩一歩と歩みを進める愉快な話だった。この雑誌、『ジェットセッター・マガジン』は、香港の富裕層の人々が対象となるビジネス誌である。

 

 彼が話してくれたのは、イギリス人の編集者とブラジル人女性のライターが、菅野の取材にあたったときの話だった。異邦人を前にしての取材は、国内では数多くの取材経験がある菅野にとってもそう多くあるわけではない。菅野はここでも、自らの哲学をぶらすことなく彼らに伝えた。彼の口から何度となく出てきたのは、「不自由さ」とか「不便さと」といういつもの彼の言葉であった。もちろん、彼は、世界の常識としては、ネガティブな意味で用いられるそれらの言葉を、いい意味で用いていたのだ。彼がものづくりをするなかで大切にしている「価値」のなかのひとつとして紹介したのだ。彼が言いたかったのは、「便利さという価値観は、我々から何かを奪うこともある」ということだった。世界を見渡したとき、日本ほど便利な国、東京ほど利便性に優れた都市はないが、それは単に日本人の勤勉さや清潔さによってそうなっているだけで、「便利さ」や「利便性」を追求する、その姿勢は世界中どこの国でも崩されることはない。特に都市部においては、そうだ。ニューヨーク、パリ、ロンドン、ボンベイ、デリ、香港、シンガポール、など世界のどこの都市を訪れても、便利さや利便性は、豊かさのシンボルなのである。そうであったなら、菅野が口にする言葉が、彼らの耳にどう響くのか、それは想像にかたくはない。

 

 「マカオでの取材は面白かったんだよ。イギリス人編集長、ブラジル人女性ライター、それからマカオ生まれで英語と中国語と日本語の三カ国語を自在に操る日本人という具合にね。イギリス人編集長はね、取材がはじまって、オレが何度も、不自由さとか、不便さを強調するものだからね、最初から最後まで、ずっと首を横に振る仕草しかしなかったよ。きっと、理解できないんだろうな、オレの言っていること。でもさ、面白かったのは、ブラジル人ライターさんのほうでさ、途中から段々と質問しなくなったかと思ったら、オレの顔を遺跡か珍しい昆虫標本でも観察するかのように、ジッと見て、話に耳を傾けるようになっていったんだよ。それでしまいには、何ともいえない優しい表情になってオレをみるようになったんだ。母親が我が子を見つめるみたいな、慈愛溢れる目だったのが印象的だったんだ。それでずっと黙っていたのに久しぶりに口を開いたと思ったら、”彼が言っていること、私にはよく理解できる”だってさ、なんだか、面白いだろ。それでな、もっと面白かったのは、オレが最後に、”便利さという価値観は、知らぬ間に愛や相手への思いやりを失う”と言ったら、ずっと横にしか首を振らなかった編集長が、首を縦に4回も動かしたんだ。正直、嬉しかったんだよ。」

 

 世界に届くのは、エアロコンセプトという物体だけではない。菅野の話は、世界へと届く。このことが示すことは、どんなことだろうか? 便利さという価値観を理解する心もあれば、不便さを理解する心もあるのが、人間という生き物だということなのだろうか? いや、そうではない。きっと、同じことを菅野じゃない人間が、同じ言葉で伝えたとしても、彼らに理解させることはできなかったはずだ。菅野が言語の壁を超えて伝えたのは、熱だった。つまり本気の想いだったから伝わったのだ。その熱とは何か? それを分解していったら、それは、彼の声質なのかもしれないし、彼の声のトーンなのかもしれないし、必死に伝えようとする彼の表情なのかもしれないし、彼のジェスチャーなのかもしれない。とにかく、彼の言葉というのは、熱をもって伝播するのである。

 

 対談であれ、記者会見であれ、パーティーの場であれ、スピーチの場であれ、電話取材であれ、彼の言葉は、伝播するのだ。その熱を伝播させる力は、どうやら技術というものではなさそうだ。では、一体、何なのか? 筆者は、その疑問を胸に次の言葉を菅野へとぶつけてみた。「菅野さんは、話しをするとき、最初に台本みたいなものを頭のなかにつくってから、相手に伝えるんですか? ほら、前に学生たちが主催していたスピーチするみたいなことをするイベントがあったじゃないですか? あのときも、随分、多くの人が菅野さんのスピーチに感動していたし、そのいわゆるプレゼンテーションの力みたいなものが、どこからきているものなのか、知りたいと思ったんですよ。」。そのイベントとは、2012年の夏に学生たちが中心になって催された『マイジャパン・カンファレンス』というプレゼンテーションイベントである。すると菅野は、思いもよらないことを口にした。「オレはね、こんなことを言っていいのかどうか分からないけど、あのイベントに呼ばれてね。若い学生たちが一生懸命やってるんだから、何かの役に立てればいいなと思って、出たんだよ。それで、何人かいたプレゼンテーターの人たちの話を聞いていたらさ、みんな偉い人たちばっかりなんだよね。新しい形でものづくりのビジネスを世界に広めようというね。凄く頭も切れるし、プレゼンテーションも上手だし、やり手の人たちなんだよね。だけどさ、オレは、悪いけど、彼らの仲間入りをしたくないって思っちゃったんだよ。最初は、普通にね、自分がどうやってエアロコンセプトをはじめて、どんな偶然で広めていったかということを、あったままに話そうと思っていたんだけどね。土壇場で大変更したの。どういう運か知らないけどさ、こんな先の見えない時代に生まれて、迷える子羊たちを前にね、自分がたまたま成功しただけのやり方をさ、若者たちに教えてどうなるんだよ? オレは上手くいったから、お前たちもオレのやり方でやってみろよ? って、少しくらい長く生きた大人だからって、大上段から、そんないい加減なこと言うなって、そんなの嘘だろって。それよりもさ、もっと大切なことはさ、自分の好きなことを、自分のやり方で、本気になってやるってことだろ。だから、オレ、あのときあの場の空気に耐えられなくなって言っちゃったんだよ。”常識なんてことは、案外、常識じゃなかったりするんだ。いろんな人がいろんなこと言うかもしれないけど、自分を信じて自分の好きなことをやってください。”って。また、公衆の面前で丸裸になって、感極まって、涙ぐんじゃったけどさ。オレが人前で話をするのは、自分の自慢話をするためじゃないんだよ。何か役に立つことでもあるのかなって思ってなんだよ。人前で、オレのつくったモノって、凄いだろって、そんなプレゼンテーションするなんて、みっともないだろ。お前が口で言わなくたって、わかってる奴はわかってるよ。モノみればわかるよ。そんなこと自分で言うなって」。

 

 思いもよらなかったのは、質問の答えになってないのに、そこに問いに対する答えが垣間見られたことだった。その答えとは、「彼のプレゼンテーションは、常に本気である」ということだった。嘘がなく、誤魔化しがない。日頃から、本気で考え抜かれたこと、感じたことだけを口にしているのだ。つまり、もし彼のプレゼンテーションに学べるとしたら、自分と向き合って、日頃から自問自答を繰り返し、己の中にある考え、感情を見つめておくということだけなのだ。なぜなら、そこまで突き詰めた確信を持った考えがあったなら、後は、自分を正直にぶつければ良いだけだからだ。しかし、菅野と違って、ほとんどの人は、その自分の根っこにある本気の想いを知らない。本気の想いを炙り出すことをしたことがない。だから、質問されると、答えに窮してしまうし、小手先のプレゼン術で乗り切ろうとしてしまうのだ。しかし、菅野の熱や想いの伝え方をプレゼンテーションのひとつの技法とするならば、自らが自らに向き合い、自分の本音を知り、本当のことを伝える、ということになる。そして、これは、もはや技法と呼べる次元の話ではないのである。